「うんちく」垂れ流しPARTⅡ

前回の薀蓄が一部に受けたらしく、引き続います。

このブログで何処かで書こうとしたことですが、時期を誤ると

非難されそうなので今、薀蓄を垂れ流します。

「5月5日の子供の日(端午の節句)の由来は屈原の命日?」

中国の戦国時代、先述の太公望呂尚が周を建てることに貢献した後、

地方の王が周に徐々に従わなくなり、春秋時代、戦国時代を迎えました。

戦国末期、秦の統一直前の楚という国のお話です。

秦の勢力が強くなる頃、楚の政治家で屈原という方がおりました。

斉を軸として縦に同盟を結ぶ→合従説

秦を軸とした横に同盟を結ぶ→連衡説

(合従、連衡を合わせて「連合」とい言葉になった。)

「秦は信用できない」と屈原は合従説を推すも政争で敗れ、左遷

させられました。

その後、連衡説を採った楚は秦に騙され、

楚は首都を陥落されてしまいましいた。

屈原は絶望して汨羅江に入水自殺しました。

付近の住民が憐れと思いお米を命日に奉納した処、

屈原の霊が顕れ、

「蛟竜(ゲゲゲの鬼太郎参照)がお米を食べてしまう」

というお告げがあり、笹の葉にくるんだお米(ちまき)を

5月5日に奉納するようになりました。

十八史略より





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