バチあたり仏像妄想話

このご時世に奈良に行ってきました。

電車やら東大寺やら空いていました。

当然、東大寺奈良の大仏を見物させていただきました。

ただ、体力なくて本当は奈良博物館の正倉院展やら三月堂も

行きたかったのですが体力なくて辞めました。

東大寺ミュージアムという所は行けました。

そこで気づいたことは仏像は塑像が多い。

塑像とはwikiで調べて見てくださればわかると思いますが

木材を柱として細かい粘土で造形した像です。

仏教が入ったばかりの7~8世紀なので、まだ木像を造る

工具(良質の鉄)とか技術とかが不足していたと思います。

仏像は私の少ない知識から主に

塑像、木像、石像、銅像ぐらいしか思いつきません。

本題の奈良の大仏は「銅像」です。

理由は主に二つあると私は妄想します。

この時代のちょっと前から銅鐸や鏡は大体銅製です。

銅はある程度のしっかりとした技術で窯を造り、

温度約1000度あれば精製できる模様です。

このような高級装飾品にしか用途がなかったので、

聖武天皇は国家予算をふんだんに使って

思い切って「銅製」にしたのではないかと思います。

もう一つの理由は、建物です。

前に法隆寺の話でも書いたのですが、天平文化、奈良時代の

お寺は基壇などの上に木造の堂を建てたのですが、

中空の基礎がないことが特徴です。

奈良の大仏はたぶん、土を盛った上に安置したので荷重は

耐えられたと思います。

が、その後、日本人、お寺も湿気を嫌い、平安時代頃から

中空の基礎を造り、その上に堂を建てて修行したと思います。

人間が居場所が基礎があり仏様(仏像)が地べたの上というのは

マズいと思い、荷重の軽い木像になったんじゃないかと妄想します。

木像の上塗りに金箔というのが流行ったと思いますが、大抵の仏像は

当時の技術やら金の産出から考えると黄銅(真鍮)が混ざっていると

推測しています。

なので突出して古代の奈良の大仏さんだけ(私の知る限り)

「銅製」になったと思います。

自分自身と家族と世の中の病気平癒に祈願しに行ったついでに

観光目的なんですが、私は何をしに旅行に行ったのでしょうか?


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